SS

かなり昔に書いたアイチュウの黒羽とPのSSです。2部終了直後ぐらいの関係性。
黒羽の誕生日だな〜と思ってなんとなく発掘してみました。(SSは黒羽ではなくPの誕生日ネタです)

前提の公式設定:黒羽とPは昔一緒にアイドルやっていて、その頃黒羽の姉がマネージャーでしたが、姉は交通事故で亡くなっています。

◆ハッピーバースデー

随分長い階段だ、ということは知っていた。
急勾配で酷い。しかも立地の問題で足元も覚束ないほど薄暗い。
自分の足音を一つ一つ確かめるようにして上った。

コートの裾を踏みそうになる。
新しく卸したばかりの黒いロングコートは、うっかり踏み付けでもしたら真っ白い足型が付いてしまう。
人の通る為に作られたのであろう階段なのに、ここは可哀相になるほど真っ白に煤けていた。
久々の仕事なのかもしれない。
コートを摘んで階段を上りながら黒羽はそんな事を思った。

ウンザリするのはコートへの気遣いの億劫さであった。いっそ上着など着て来なければ良かった。
卸したてのコートは昨年までの物より少し重たいので、長く着ていると肩が凝ってくる。
ベルトがちょっと、違う。そう思って黒羽は自分の下腹の辺りに目をやった。
余所見をしては危険なので足も止める。立ち止まれば滞るような疲労を両脚に感じた。
いい加減、半端に曲げたままだった両腕も疲れている。 黒羽は摘んだ裾を持ち上げ、手首で一度大きく払った。
空気を孕んで階段に積もった埃が盛大に舞う。 それにもウンザリして黒羽は甚だ不服そうに、鼻を一つ鳴らした。
階段下から名前を呼ばれた。階段下から名前を呼ばれるのは嫌いだった。
振り返る時の余地とか、視界とか、見下ろした時の高さとか、そういうのが億劫なのだ。
朔空にもバベルにも自分のこんな一性癖を話した事はない。しかし、きっと彼女は知っている。知っているから仕掛けてくる。
返事をせずに黒羽は階段の先を見上げた。視界は未だ開けていない。

一度休めた脚が再び同じ速さで動くには時間が掛かった。
その間に、少し、彼女は距離を詰めたようだった。後ろから自分のものとは違う足音が細く聞こえてくる。
こんな裏道があるなんて知らなかった。そんな事を言っている。
当然だ。俺は、お前よりも何回だって多くここに出入りしているんだ。
そう言うのも億劫だった黒羽はやはりコートの裾を気にしながら、淡々と階段を上る。
お前の知らない道も、知らない仕事も、知らない人間も、沢山。
これも脳裏に浮かんだだけで別段どうしようとも思わなかったので、そのまま何も言わずに階段を上った。
階段下には、幅の狭い通路を更に狭めるようにして、古い建物が両脇にそびえ立っている。
その寂れた通りの一番奥に、ひたすら真っ直ぐ、ひたすら急勾配で古ぼけた階段が墓地に向かって伸びているのだ。
階段の方が比較的新しい。通りは町というより既に町の残骸のような体裁だった。窓硝子もサッシも壁も絵に描いた様な現実感のなさで、ただそこに在るだけの物になっている。
黒羽は生気のない、この静かな目抜き通りが好きだった。何度かここを通って姉の墓参りに来ている。

まるで、忘れちゃったみたいね。
彼女がそんな事を言った。
足音はまた少し細くなっている。声もさっきより遠い。
もう少しで墓地のはずだった。今日は重たいコートを着ているからか、いつもより少し長く感じる。
何をだ。黒羽はそう返した。
思っていたより声が反響した。ここで声を出したのは初めてだった。
何度か緩くリバーブして、それで再び足音しか聞こえなくなった。
ここに暮らしていた人がいた事を。ここに生きていた人たちの事。
彼女がそう言った。言って、脚を止めた。 階段下の町並みを眺めているのかもしれない。
黒羽は脚を止めずに声だけ気持ち大きくして、町がか、と返した。
返事は来ない。

建造物には記憶など残らない。
誰がいて、誰が死んだかとか、そういう機能を町は備えていない。
記憶を残すのは人だ、と、黒羽は考えた。
自分は町に生きるも死ぬもないと思っている。しかし彼女はそうでないのかもしれない。
黒羽はもう一度コートの裾を軽く払った。
星明りが見えてきた。手袋を外して腕時計に触れる。金属製のベルトは指を切る程に冷えていた。目を眇めて文字盤を確かめる。0時を過ぎていて欲しかった。
皮の手袋まで卸した。新しいコートに合う色を散々探した。
何か気張らなければいけない、と思ったのだ。
爪も髪も小奇麗に整えてある。 こんなに気を遣うのは仕事の時くらいだ。黒羽は腹立ち半分にそう思う。
自身ですらこの機微はよくわからなかった。
これは何も今日辺りが彼女の生まれた日だから、とか、特別なものだから、とか、 そういう気持ちの悪い認識の結果ではない。そう思うことにしていた。
彼女の足音が追いついてきた。黒羽はもうすぐ上に着く。
白い息が形を確かめる間もなく自分の後ろに流れ、何か生き物の様に、ゆっくりと消えていく。 その緩慢な揺らぎさえ、もどかしかった。急くのは気持ちと、かちかち規則的な音を立てる腕時計と、いい加減に逸る鼓動だけに思えた。

いくつになった。

そう言った。あまり大きな声にはならなかった。
階段を上りきってしまったら言えない。そう思っていた。
上に出たらすぐに墓地だから、偉く長い階段だった、とか、すっかり夜になってしまった、とか、 多分そういう何の変哲もない会話しか出来ない。
何かちょっと意味の含んだ話をするには適度に雑然としていた方が良い。
階段を上りきったそこには野ッ原と見上げた一面に広がる冬の夜空しかない。
そこで誕生日がどうこうという会話など出来るはずも無い、と黒羽は思う。気持ちが悪くてかなわないではないか。
言うならここしかないと思っていた。そのつもりで選んだ。
ここなら顔を合わせないでも済む。相対してどうこうなどそれこそ気持ちが悪い。
それでもやはり自分の何かが邪魔をした。それで、そんな妙な言い方になった。

黒羽と同じ年だよ。そう返ってきた。

彼女は、特にこういう時にはよく頭を働かせる。無意識の内にも黒羽はそれを少し、期待していた。
自分の複雑な心境も彼女は多分知っているし、こういう時に意地悪をしてくる性質でもない。
見上げた星空も大分開けて来た。

おめでとう、って言って。
その一言を待っている。

黒羽は埃を払うふりをして立ち止まった。もう数段で階段は終わる。